山あり谷あり
私が弁護士としての仕事を始めたのは38歳の時です。
30歳になる頃、当時勤めていた会社を辞めて、司法試験の受験を始めました。「旧司法試験」と言われている昔の司法試験です。
まずは5択の60問に回答する試験(短答試験)に合格しなければいけないのですが、私はその試験が非常に苦手でしたので、試験前に集中的に勉強するために、会社を辞めて、時間に融通が利く派遣の仕事を選択しました。
それでもなかなか受からず、3年目(3回目)でようやく短答試験に受かりました。これに受かると論文試験に進めます。1科目2問について6科目、合計12問に回答します。
論文は得意でしたので期待して受けたのですが、1問だけ全く的外れな回答をしてしまい、結果不合格でした。ただ、発表された順位はあと少しというところでしたので、次の年に期待しました。
ところが、ここからが地獄の始まりでした。
次の年も、その次の年も、1点が足りず、短答試験で落ちてしまいました。文章にするとあっさりしていますが、実際はかなり過酷な状況でした。
しかも、2年連続で落ちた時点で、旧司法試験はあと2回しか残されていませんでした。合格者数も毎年減らされているという状況です。
一方で、すでに「新司法試験」が本格的に始まっていました。合格率もかなり高く、そちらでやり直すという選択肢もありました。
しかし、当時新司法試験を受験するためには法科大学院を卒業していなければなりませんでした。卒業するにはお金も時間もかかりますので、旧司法試験で突き進みました。
次の年、短答試験にようやく合格することができ、待ちに待った論文試験を受けることができました。
しかし、結果は不合格でした。当時の絶望感は今でも忘れられません。
ですが、その年は101人が合格し、私の順位は200番でした。自分の前にはあと99人しかいません。合格はすぐ目の前まで来ているということを信じ、勉強を続けました。
そうしていよいよ最後の試験が近づいてきました。当時すでに36歳で、もう後がありません。
にもかかわらず、短答試験まで残り1か月というところで、ずっとお世話になっていた派遣先から「派遣切り」に遭い、職を失いました。
時を前後して、長年一緒に暮らしていた交際相手も、愛想を尽かして家を出ていきました。
いずれも時間がかかり過ぎた当然の結果だとは思いますが、悲惨な精神状態の中で最後の試験を迎えることとなりました。
そのような状態に置かれたことが功を奏したのかどうか分かりませんが、無事に短答試験に通過し、論文試験にも合格することができました。
論文試験の合格者は52人、対出願者での合格率は約0.4%だったと記憶しています。奇跡でした。
その後、家を出て行った交際相手とは結婚し、子供も授かりました。
合格していなければ子供たちに出会うこともなかったと思うと、合格したのは奇跡ではなく、運命だったようにも感じます。
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